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銀河鉄道999-The Galaxy Express 999- [animation]

「vehicle(乗り物)」、「bicycle(自転車)」、「audio & visual(オーディオ)」というカテゴリーにてお届けしてきたこの「-texas'cafe@deep-」に、新たなカテゴリーが追加。

その新カテゴリーとはズバリ「animation(アニメ)」!


まあ、やるやるとは聞いていたんだけど・・・。

一応、それらしき「伏線」も張っていた訳だし・・・。

本人がやりたいって言っているんだから仕方ない・・・。


という訳で、40代半ばにもなる大の大人が、これまで観てきた中で感銘を受けた「アニメ作品」を紹介するのがこのカテゴリー「animation」。

その記念すべき一発目は「銀河鉄道999-The Galaxy Express 999-」。


まあ、ある意味自分の「アニメ人生」はこの作品から始まったと言っても過言じゃない。

人生初の購入コミックも「銀河鉄道999」だったし。


と、この作品を語る前に、今更だけどこの「銀河鉄道999」には原作版と劇場版がある。

原作版は「少年キング(1977~1981)」にて連載→コミック化(全18巻)→アニメ化(全113話+TVスペシャル3話)という流れ。

劇場版は、原作を再編集したオリジナルストーリーの「劇場版 銀河鉄道999(1979)」と、その続編となる「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-(1981)」そして「銀河鉄道999-エターナル・ファンタジー-(1998)」の3本があるんだけど、「エターナル・ファンタジー」は観ても観なくてもどっちでも良い。

もうこの作品は「銀河鉄道999」であって「銀河鉄道999」では無くなってしまっており、一体何のために連載を再開させ、未完のまま劇場版まで制作したのか、松本零士氏の意図が分からなくなってしまっている。


ちなみに今回紹介するのは劇場版ではなく原作版(TV版)の方。

劇場版も次回以降紹介する予定だけど、この作品はまず原作版を理解しないと劇場版だけ観ても意味がない。

「ハーロックとエメラルダスがカッコ良かった」などという、どうでもいい感想で終わってしまう。

劇場版におけるキーキャラクターは「ハーロック」でも「エメラルダス」でもなく「トチロー」、そして「さよなら銀河鉄道999」での「ミャウダー」であり、彼らの意志を鉄郎が受け継ぐというのが、劇場版2作におけるメインシナリオの一つになっている。

ちなみに「トチロー&ミャウダー」の声優はどちらも「(故)富山敬」氏であり、更に言えば「古代進(宇宙戦艦ヤマト)」の声優でもある訳で、松本ワールドにおける「富山敬」氏の存在がいかに重要だったか計り知れない。

まあいい。

基本的なストーリーは原作・劇場版共に、主人公「星野鉄郎」が「メーテル」と出会い、機械の体をタダでもらえるという星を目指して旅をする、というもの。

原作版は、停車する駅(惑星)での1日が停車時間となり、基本1話完結型でストーリーが進んでいくんだけど、とにかく「切なく、やるせなく、そして報われないエピソード」が多い。

ハッピーエンドで終わるエピソードなどほぼ無いに等しい。

各駅(惑星)には、様々な法律や掟、ルールなどがあり、これが当時の格差社会に通じていたりして、松本零士氏の社会、人間性、そして命に対するメッセージが各話に散りばめられている。

とは言え、10歳前後の主人公が、各駅(惑星)でこんな「切なく、やるせなく、報われない経験」を積んでいったら、最終的にはとんでもない精神の強い人間になるか、鬱になるかのどちらかしかない。

いつ旅を断念してもおかしくない、そんなレベルのエピソードが延々と続く。

今でこそ「鬱アニメ」なんて言葉を聞くようになったけど、この「銀河鉄道999」に比べれば生温いと言いたい。


原作アニメを観ていた頃は、自分も鉄郎と同じ10歳前後だった。

当時はいわゆる「勧善懲悪」と呼ばれるTV作品が多く、これはこれで「善と悪」を判断するのに必要な情報だった訳なんだけど、この「銀河鉄道999」は「勧善懲悪」とは一味違う、「何をもって善か悪かを判断するか」という「倫理観」を考えさせる作品だった。

とは言え当時10歳前後だった自分にそんな「倫理観」なんて解釈が出来る訳無かったんだけど、この作品が伝えたいメッセージだけは、何となく理解していたそんな記憶がある。


そして、40代半ばになった今にして思えば、この原作版を通じて松本零士氏が伝えたかったメッセージの一つは「社会の理不尽さ」だった気がする。

社会に出れば全てが「勧善懲悪」で片付く訳ではない。

時に「理不尽さ」に耐え、そこから何かを学ぶことも必要である。


例えばだけど、アニメ版第16話「蛍の街」は、理不尽な世界に生きる人々を描いたエピソードだった。

生まれた時点での身体の光る度合いによって、その人生の貧富が決められてしまう。

この第16話は泣ける回でもあったし、「私は心の中まで貧しくありません」と言う「フライヤさん」の強さと優しさには心を打たれた・・・。


原作は、どれもこれもが深いエピソードばかりなので、全体的に「暗い」というイメージを持つ人が多いのも事実。

だけど、どのエピソードにも作者のメッセージがあるのも確かであり、個人的には今の小学生にこの「銀河鉄道999」全話観させる価値は十分にあるって思ってる。

もっと言えば、小学生だけでなく、20代、30代、40代と歳を重ねてから改めてこの作品を観れば、その当時と違った価値観を抱くかも知れないし、忘れていた何かに気付くことも多いんじゃないかと思う。


そして、松本零士氏がこの作品を通して描きたかったのは、「少年が大人になるまでの過程」であり、様々な惑星で様々な人々と出会い、様々な価値観を経験し、様々な心の葛藤の末-「鉄郎」は機械の体をもらわないという結論にたどり着く。

「機械の体になって永遠の命を手に入れることが幸せになることじゃない。限りある命だからこそ人は一生懸命に生きる。人生という短い時間の中だからこそ何かをやり遂げようとする。だからお互いを思いやり、そこに優しさが生まれる。それが幸せなんだ。」という結論を、あの「切ない、やるせない、報われない経験」の果てに導きだした訳で、この「結論」へと至る過程がこの作品の最大の魅力である。

ちなみに第1話「出発のバラード」は、自分がこれまで観てきたアニメ中屈指の「切ないエピソード」の一つ。

「あずみ(by 小山ゆう)」の第1話も切なかったけど・・・。

貧しいながらも母親と二人で(心だけは)幸せに暮らしていた鉄郎から、機械伯爵の「人間狩り」によって最愛の母を目の前で奪われる。

こんな目を覆いたくなるような悲劇を経験し、とてつもないトラウマを背負った10歳前後の主人公が、いかにして大人へと成長していくのか、その鍵を握る人物が「メーテル」。

まあ「メーテル」の存在は、鉄郎にとっては外見的にも内面的にも「母親」そのものであり、鉄郎は「メーテル」という母親から様々なことを学び、そして最終的に母親から巣立っていく。

「メーテル」の母親振りってのはある意味パーフェクトだったように思える。

何が正しくて、何が間違っていると考えるかは、最終的に鉄郎自身が決めること、というスタンスで接しており、必要最低限の助言しかしない。

だけど間違った行動をする者に対しては決して容赦しない。

ある意味「銀河系最強の存在」であるにもかかわらず、必要以上に誘拐されたり、脱がされたりしていたイメージが強いんだけど、今にして思えばわざとやっていた感も否めない。

まあいい。

そんな「メーテル」に(ある意味)育てられた鉄郎は、精神的に大人へと成長していく訳なんだけど、そんな「メーテル」に課せられた役割ってのも、これまたとてつもなく凄まじい。

機械化帝国の女王プロメシュームの娘として、「意志の強い若者」を機械化帝国の部品にさせることがメーテルの役割。

まあ、表向きはプロメシュームの命令として動いていた訳なんだけど、実際にはプロメシュームの夫(メーテルの父)「Dr.バン」の指示により、機械化帝国を壊滅させるために行動していた。

そんな役割を課せられ、鉄郎と同じ若者と数えきれないほどの旅を続けてきた。

そしてそれらの若者は、最終的に機械化帝国の部品になることを受け入れてきた訳なんだけど、その受け入れた理由ってのが、いつの日か機械化帝国を滅ぼすタイミングがきた際に、帝国を壊滅させる「意志ある部品(ネジ)」となっていったってのがこれまた凄まじい。

そんな「意志ある部品」になっていった若者達と、数え切れないほどの旅を繰り返してきた「メーテル」の心中を察すると、とてもじゃないがまともな精神ではやっていられない。

じゃあ、機械化帝国の女王プロメシュームが完全な「悪」かと言うと、彼女自身もラーメタル星の女王として民を救うため「機械化」という選択をした結果であり、結果論からすれば機械化人>人間という差別を生み出してしまった訳で、これは確かに「悪」ではあるんだけど、民を救うという女王の選択としては決して間違っていなかったとも解釈出来る。

この「プロメシューム」の物語は「新竹取物語 1000年女王」、「メーテルレジェンド」、「宇宙交響詩メーテル」で語られるんだけど、プロメシュームが地球で生活していた頃の「雪野弥生」の姿を知ってしまうと、単純にプロメシューム=悪とは言えない理由もあり、こういった様々な事情が絡み合うのが、「勧善懲悪」で片付けられない松本ワールドの特徴とも言える。

個人的には「メーテル」よりも、三食ラーメン食堂の看板娘だった「雪野弥生」の方が好みなんだけど、まあいい。

ちなみに、プロメシュームには「セレン」という姉がおり、この「セレン」は他の松本作品で「羽黒妖」と名を変え「超時空戦艦まほろば」を建造する。

この「超時空戦艦まほろば」は「宇宙戦艦ヤマト」の僚艦として影ながらサポートする役目を担ってきた、という設定なんだけど、これは「新・宇宙戦艦ヤマト」を読まないと分からないし、この作品も2巻だけで終わってしまっているので、物語の全容がさっぱり分からない。

「まほろば」はOVAアニメ化が予定されていたんだけど、どうやら頓挫した模様。

「Dガード(ダンガードA)」なるロボまで登場する予定だったので非常に楽しみにしていたんだけど・・・。


松本零士氏は、最終的に全作品を同一の時間軸に集結させようと試みてきたらしいんだけど、結局のところ「宇宙戦艦ヤマト」の版権問題で揉めてから、話が進まなくなってしまった(らしい)。

「銀河鉄道999」ワールドでは、原作の段階から「ハーロック」「エメラルダス」「トチロー」が登場していたけど、どうにも「宇宙戦艦ヤマト」ワールドとリンクさせることが出来なかったように感じる。

この2作品を何とかリンクさせようと試みたのが「銀河鉄道物語」であったようにも感じるけど、結局のところ「どっち付かず」の作品になってしまった感が否めない。

そうゆう意味で、「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」ワールドをリンクさせる唯一の存在が「セレン=羽黒妖」だっただけに、「超時空戦艦まほろば」の制作が頓挫してしまったのが非常に残念。

このリンクを望むのであれば、銀河鉄道999の原作「エターナル編(未完)」、ならびに劇場版「エターナルファンタジー」の続編ノベライズとして発刊された「GALAXY EXPRESS 999 ULTIMATE JOUNEY(上下巻)」を読むのもオススメ。

この「ノベライズ」には、「松本ワールドの集合体」とも言える様々なキャラが登場し、個人的にはこのノベライズが「銀河鉄道999」のエンディングだと解釈している。


あと、このノベライズ以外で期待しているのは「キャプテンハーロック-次元航海-」。

この作品は、原作=松本零士、漫画=嶋星光壱というタッグにて「チャンピオンREDコミック」より現在第7巻まで発刊されている。

主人公はタイトルの通り「キャプテンハーロック」であり、「エメラルダス」、「トチロー」といったレギュラーメンバーはもちろんのこと、「銀河鉄道999」ワールドとも完全リンクしており、「星野鉄郎」、「メーテル」そして「黒騎士ファウスト(鉄郎の父)」も登場。

更にこの作品には、「Gヤマト」、「超時空戦艦まほろば」といったワードも言及されており、もう自身では漫画を描く力がないと悟った松本零士氏が、弟子的存在の嶋星氏とタッグを組んで「キャプテンハーロック視点による松本ワールドの集大成」的な作品を展開しつつある。

「銀河鉄道999」以降、幾つもの作品を描きつつも「未完」のままの作品が余りに多く、これまで幾度となく裏切られてきた感があったが、この「次元航海」はどうやら期待出来そうな雰囲気が漂っている。

是非とも「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」とがリンクする、「夢の作品」となることを期待したい。


まあいい。

色々と話しが脱線してしまったけど、この原作版「銀河鉄道999」という作品は、大人が観ても十分に考えさせられるエピソードばかりであり、この当時の松本零士氏は自分にとって間違いなく「天才」だった。

今回からスタートした新カテゴリー「animation」において、永遠のBest1作品はこの「銀河鉄道999」であり、この作品が自分の人生にどれだけ影響してきたかは計り知れない。

人は誰でも幸せ探す 旅人のようなもの
希望の星にめぐり合うまで 歩き続けるだろう
きっといつかは君も出会うさ 青い小鳥に

青い小鳥・・・一体いつになれば出会えるのか。

一生、出会うことなんてないのか?

既に出会っているけど気付いてないだけなのか?


とまあ、こんな感じで、今後も「感銘を受けたアニメ作品」を順次紹介していく予定。

ではまた次回をお楽しみに。
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