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劇場版 銀河鉄道999-The Galaxy Express 999- [animation]

今回紹介する「animation(アニメ)」は、前回の「原作(TV版)銀河鉄道999」に続く「劇場版(第1作目)」。

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劇場公開されたのは1979年・・・今から38年前の作品であるにもかかわらず、未だこの「劇場版 銀河鉄道999」は自分の中でBest5に入る作品であり、その後幾度となく観ているけど一向に色褪せないという名作。

38年も昔の作品なので、ネット等ではとっくに語り尽くされた感があり、今更自分なんかが感想を述べたところで何の意味もないのだろうけど、まあ自分なりの視点で改めてこの作品を評価することで、既に何度か観ているけどもう一度観てみようってキッカケになってもらえれば幸い。


この「劇場版」は原作(&TV版)の構成をリメイクし、かつ終盤はオリジナルな展開となっている。

「劇場版」には「ハーロック」そして「トチロー」が登場するけど、原作版ではこの2人は正式には登場しない。

「時間城の海賊」という回で、「ハーロック」が酒場にいるシーンがあるんだけど、ボロ衣を羽織ったままの姿しか見せず、ラストでも「アルカディア号」で出発してしまうだけで、結局その姿を見せることは無かった。

「トチロー」も名前だけしか登場しなかったはずで、公式に登場したのは「エメラルダス」だけだった。

そして、この劇場版が公開された1979年時点ではまだ原作が終了しておらず、イコール「物語のラスト」を知らないのに劇場版が公開されるという、期待と不安が入り混じった思いがあったのを覚えている。

結果的に、原作版(連載&コミック)、TV版、劇場版どれも「物語のラスト」が微妙に違う展開になっているんだけど、一番納得出来る展開はこの「劇場版」だと思ってる。


さて、この劇場版は「鉄郎視点」にてストーリーを大きく分けると次のようになる。

1. メーテルとの出会い

2. アンタレスとの出会い

3. エメラルダスとの出会い

4. トチロー&ハーロックとの出会い

5.機械伯爵との対決

6.プロメシュームとの対決

7. メーテルとの別れ


1. メーテルとの出会い

原作版と劇場版では「鉄郎」の年齢設定が異なり、原作版=10歳前後→劇場版=15歳前後となっている。

原作版では第1話にて母親を失い、悲しみも癒えないままメーテルと共に「999号」に乗り込むという展開だったけど、劇場版では母親を失ってから数年が経過している。

この「数年」ってのが結構大きな意味を持っており、母親を失った悲しみを自力で乗り越えたことになる。

まあ、やってることは「泥棒」なんだけど、それでも「ハーロック」に憧れ、宇宙の海を自由に旅したいという夢と希望を持つまでには成長しており、劇場版の鉄郎は「大人の一歩手前の少年」という設定になっている。

個人的に、この「メーテルとの出会い」で一番印象的なシーンは、階段を上ってくる鉄郎を待つメーテルの表情。

このシーンでのメーテルの表情は一見すると何も読み取れないんだけど、メーテルの実情が分かると何とも複雑な表情に読み取れてくる。

「階段を上がってくる若者と再び旅をし、また機械の部品にしなくてはならない。」

そんな切ない内情が読み取れる。

この作品は「鉄郎の人生の旅立ち」であると同時に、結果的に「メーテルの旅の終焉」でもあった訳で、この余りに極端な2人の立ち位置を対比すると、また違った視点が見えてくる。

そして鉄郎はメーテルからパスをもらい、「とにかく機械の体をタダでもらえる星に行きたい」という勢いのまま乗車した999号にて地球を離れる訳なんだけど、このシーンで流れるゴダイゴの「テイキング・オフ」がこれまた最高。

地球に残してきた仲間との思い出、失った母との思い出、そんな様々な「思い出」を残して地球を離れるにあたって、この「テイキング・オフ」の歌詞は、このシーンで流れるに完璧な内容であり、挿入歌と呼べるレベルでない高さの曲だと思っている。

「I,m leaving, I,m flying, I,m taking off to the unknown」なんてすげ~歌詞が1979年当時に作られてたってことがもう奇跡としか言いようがない。

ちなみにこの当時のゴダイゴは、「モンキー・マジック」、「ガンダーラ」、「ホーリー&ブライト」、「the Galaxy Express 999」、そしてこの「テイキング・オフ」と、その作品の世界観を完璧にイメージさせる曲を次々に発表しており、当時小学生だった自分にとって、この「ゴダイゴ」の存在はまさに「神」だった。

まあいい。


2. アンタレスとの出会い

メーテルが魔女なのか何者なのかも分からないまま「鉄郎の旅」がスタートする。

そして最初の停車駅(惑星)にて、いきなりではあるけど、鉄郎にとって今後の人生を左右するイベントが発生する。

一つは「アンタレスとの出会い」であり、もう一つは「トチローの母から戦士の銃を譲り受ける」というイベント。

「アンタレス」からは、「撃たれる前に撃て」という宇宙で生き残る唯一の法則を教えられる訳なんだけど、まだこの時点では鉄郎には理解出来ておらず、結果的に「アンタレスの死」を持って実感することになる訳なんだけど、この「アンタレス」ってのは鉄郎にとって「人生の厳しさを教えてくれた存在」であったと捉えている。

「アムロ・レイ」にとっての「ランバ・ラル」や「リュウ・ホセイ」みたいな存在とでも言うべきか。

そして「戦士の銃」イベントでは、ぶどう谷から無事メーテルを連れ戻した鉄郎に、トチローの母が「戦士の銃、マント、帽子」という「トチローセット」を正式に譲り渡す。

トチローの母が鉄郎に何かを感じ取ったのは間違いないんだろうけど、個人的にはこのシーンはもっと膨らませてほしかった。

本来であれば「戦士の銃」は製作者である「トチロー」自身が認めた者にしか譲っていない訳で、「鉄郎」が所有すべきではないとも取れるんだけど、違う視点で言えば、トチローの母が認めた者=トチローが認めた者とも解釈出来る訳で、結果的にメーテルもハーロックもエメラルダスも、鉄郎が「戦士の銃」を所有していることを否定していない訳で、この「戦士の銃」の存在が、「トチローの意志を鉄郎が受け継いだ」と解釈出来るところがまた面白い。

この「戦士の銃」は、松本零士作品によって製作シリアルナンバーが4丁になったり5丁になったり、また所有者が引き継がれたりと、ややこしいことになっている。

この「劇場版」での設定は4丁で、No.1=トチロー、No.2=実家→鉄郎、No.3=ハーロック、No.4=エメラルダスとなっている(らしい)。

あと製作者の「トチロー」は、「戦士の銃」の製作者でありながら、ド近眼のため射撃の腕前が実はヘタで、その代わり「刀」の扱いは超一流という設定になっているのも面白い。

ちなみに「ガンフロンティア」では、「刀工シズク(銘:燦 天河無限)」と呼ばれるトチロー専用の日本刀(サムライ・サーベル)が登場し、この刀はトチローの妹である「シズク」が製作したという設定がある。

この「燦 天河無限」は、ノベライズである「GALAXY EXPRESS 999 ULTIMATE JOURNEY(下巻)」にも登場する。

こういった設定好きにはオススメの内容なので是非読んでいただきたい。

まあいい。

あと「ハーロックの親友&エメラルダスの最愛の人」である「トチロー」の母(大山摂子)って、考えてみればすげ~存在である訳で、この人の存在ってもっとクローズアップされてもいいんじゃないかと個人的には思っているんだけど、まあ劇場版という尺の長さを考えると仕方ないのか。


3. エメラルダスとの出会い

エメラルダスってのは「メーテルの姉」という設定なんだけど、まだ「劇場版」が公開された時点ではこの設定にはなっておらず、この時点での2人の関係性ってのは正直良く分からない。

とは言え、メーテルの真の目的は「機械化帝国の破壊」である訳で、そうゆう意味ではこの時点でのエメラルダスとメーテルは「同士」という関係で良いのかも知れない。

さて、「戦士の銃」を「クイーン・エメラルダス号」にぶっ放つという暴挙を経て、「エメラルダス」と出会った鉄郎だけど、ハッキリ言って「戦士の銃、マント、帽子」という「トチローセット」とメーテルの存在が無かったら、この時点で殺されていたかも知れない。

まあそこは主人公たる運命のお陰で、機械伯爵の居城「時間城」の場所を無事教えてもらうことになる訳なんだけど、「エメラルダス」の存在感と言うか迫力と言うかが、あの短い時間で十分に伝わる見せ方ってのは流石と言うべきか。


4. トチロー&ハーロックとの出会い

機械伯爵の居城「時間城」の情報を探るため、とある酒場にやってきた鉄郎がここのマスターから情報を得る訳なんだけど、この酒場で流れる挿入歌「やさしくしないで」がこれまた秀逸。

壊れたおもちゃ箱を子供みたいに
抱え込んで涙ぐんで それでどうなるの?

誰でも昔ばなし一つや二つ
大事そうに話すけれど それでどうなるの?

歌詞、メロディ、そして「リューズ」の存在全てがこの「酒場」でのやるせない雰囲気にマッチしており、この「やさしくしないで」は「テイキング・オフ」と並ぶ見事な挿入歌だと思っている。

ちなみにこの酒場で鉄郎はミルクを注文し客に笑われるんだけど、この「ミルク」が後の伏線になっているところがまた面白い。

マスターからトチローの情報を聞き出し、向かったガンフロンティア山の麓で鉄郎が目にしたのは一隻の朽ち果てた戦艦。

これはアルカディア号の旧型艦である「デスシャドウ号」。

「アルカディア号」と言えば「髑髏(ドクロ)」マークが先端に付いたデザインをイメージする人が多いと思うけど、あのデザインはこの「劇場版」で初登場したオリジナルであり、以降の「アルカディア号」はこのデザインを踏襲している。

ちなみに昔放映していたアニメ版「キャプテン・ハーロック」のアルカディア号は、この「デスシャドウ号」に限りなく近い、カッコ悪いデザインだった。

まあいい。

ようやくここで鉄郎はトチローと出会う訳なんだけど、この「トチロー」のデザイン&設定が「人間の中身は見た目じゃない」という松本零士氏の思いを端的に表現している。

トチローは「人格を電子データに変換し、アルカディア号の中枢大コンピューターへ伝送する」というとんでもないシステムを作っており、出会って数時間しか経っていない鉄郎がその伝送役を担うってのも酷な話ではあったけど、トチローにしてみれば「機械伯爵を倒したい」という存在が現れたことで、その意志をバトンタッチし、親友の元へ(機械として)伝送するけじめが付いた訳である。

また鉄郎にしてみれば、トチローの意志を受け継ぎ、だからこそ墓を作った訳で、この「トチローの墓」というシーンは、ある意味この作品で最も重要なシーンだったのではないかと思う。

また、セリフの数は決して多くなかったものの、やはり「富山敬」氏の声優としての演技力には脱帽する。

個人的に一番好きなのは「家を出るとき、別れは言ってあるさ」というセリフであり、この「さらっと」したセリフの中に、男としての意志が感じ取れる訳で、このセリフ一つで「トチロー」という人物像が良く分かる。

そして続く「ハーロック」との出会いのシーンなんだけど、「ハーロック」のこの作品での最初のセリフが「親父、ミルクをくれ」なのが何ともシブい。

そして奪い返した「戦士の銃」を何も言わず鉄郎へ返し、「一杯やれ」のセリフにて機械伯爵の手下を一蹴する。

このシーンは、たった2つのセリフだけで「ハーロック」の強さ、怖さ、優しさそして存在感が十分に伝わってくる名シーンだと思っている。

まあ「ハーロック」は、親友の墓を立ててくれた恩人として、既に鉄郎のことを「同士」として扱っている訳なんだけど、鉄郎にしてみれば憧れである「ハーロック」が、いきなり自分を助けてくれたことに動揺を隠せないはず。

というか近付き難いよ「ハーロック」。

そもそも口数少ないし。

声優が「井上真樹夫(ザビタン)」という時点でカッコ良すぎだし。


5. 機械伯爵との対決

ようやく「機械伯爵」を倒すため時間城まで辿り着いた訳なんだけど、ここでの見せ場は何と言っても「アンタレス」。

「だから言ったろ、撃たれる前に撃てと・・・加勢に来たぜ」。

このシーンは当時子供心にシビれた記憶がある。

「エメラルダス」→「トチロー」という、普通に考えたら到底出会えない人物からようやく入手した「時間城」の情報を、如何にして山賊風情の「アンタレス」が入手したのかはこの際考えないこととして、鉄郎はこの「機械伯爵」との対決にて自分自身の甘さを痛感することになる。

ちなみに「機械伯爵」は全く強くない。

声優の「柴田秀勝」の声はメチャクチャ合ってるけど、「伯爵」と呼ばれるだけの存在感が全くない。

まあいい。

鉄郎は「アンタレスの身を呈した最期」を目の当たりにしたことで、ようやく「宇宙の厳しさ」を理解し始めた訳で、そうゆう意味で、鉄郎にとっては「ハーロック、エメラルダス、トチロー」よりも「アンタレス」の存在の方が大きかったんじゃないかって気がする。

そしてこの「惑星ヘビーメルダー」での様々な経験を経て、鉄郎は「機械化人という存在そのものが悪の根源」という結論に辿りつき、機械化帝国を破壊するという、とてつもない発想へと飛躍する。

若いっていいなあ。

というかこの発想すげ~よ。


6. プロメシュームとの対決

999号に乗る前までは「機械の体になって永遠に星の海を旅する」という鉄郎の当初の夢が、「トチロー」の意志を受け継いだことにより、「機械化帝国を破壊する」というまさかの展開へと変わった煽りを受け、情緒不安定になったのが「メーテル」。

そこに加え、鉄郎から「愛の告白」まで受けてしまったため、「貸切列車みたいで気持ち良いわ」など終着駅付近におけるメーテルのセリフは違和感満載となっている。

この辺りのメーテルはマジでオカしいので是非チェックいただきたい。


そんなこんなで終着駅「惑星メーテル」に到着したのも束の間、自分が騙されて連れてこられたことを理解する鉄郎。

ここで鉄郎がメーテルに平手打ちをするシーンがあるんだけど、この時の「汚いぞっ!」というセリフにはグッとくるものがある。

このセリフに込められた鉄郎の心情ってのは、決して怒りや失望ではなく、信じていたから、好きだったからこその複雑な感情だったと思う。

とは言え、メーテルにしてみれば、この鉄郎からの平手打ちで目が覚め、自身も鉄郎を愛していることに気付き、分身である「惑星メーテル」を破壊するキッカケになったのも事実。

そして、女王プロメシューム、メーテル、鉄郎が揃うクライマックスシーンにて、ようやく「Dr.バン(納谷悟朗)」が登場する。

「そうだプロメシューム。哀れな機械の女よ。」

あんたも機械なんだけど・・・。

「納谷悟朗」と言えば、「銭形警部」というイメージが圧倒的に強いんだけど、ここ一番での声優としての力量と言うかは、さすがにすごい迫力を感じる。


「メーテルが歯を食いしばり、部品となる同志を運んできたのは何のためだと思う?部品となった同志達が、要所要所の重要部分に配置されているのは何のためだと思う」

「私が連れてきた人々は、みな志を同じくする人々。 機械帝国を破壊するため、身を犠牲にすることをいとわぬ勇敢な人々。 私は泣きたいのを我慢して、そういう人を大勢、ここに送り込んだのです。」

この二人のセリフに、この「銀河鉄道999」というストーリーのほとんどが集約されている気がする。

この果てしない「メーテルの物語」における最後のパーツとなったのは確かに「鉄郎」なんだけど、結果的に機械化帝国を滅ぼしたのは「メーテル」であった訳で、そう考えるとこの「銀河鉄道999」というストーリーは、「母親である女王プロメシュームに鉄槌を下す」という「メーテルの物語」であったことになる。

つまるところ、終着駅「惑星メーテル」へ辿り着いたのは鉄郎ではなくメーテルであり、メーテルが鉄郎を連れてきたのではなく、鉄郎がメーテルを連れてきたのだと個人的には解釈している。


そして、「惑星メーテル」を破壊し、「女王プロメシューム」を倒し(マジで倒したのはクレアさんだけど)、999号で地球へと戻る際に「ハーロック」と「エメラルダス」が別れを告げるシーンがある。

ここで「ハーロック」は「いつかまた、星の海のどこかで会おう。」というセリフを鉄郎に投げかけるんだけど、「エメラルダス」はメーテルに何も言わない。

言わないというか、その目が訴えている。

「あなたの旅に終わりはない」と。

そしてそれも理解しているメーテル。


だからこそ、地球に戻ったにもかかわらず、鉄郎と別れる決意をする。

「自分の旅に終わりはない」ことを自覚しているメーテルにとって、精一杯の感情表現が「鉄郎へのキス」だった。

あの「別れのキスシーン」は、自分の中ではアニメ史上に残る名シーンであり、このシーンの後に流れるゴダイゴの「the Galaxy Express 999」中に流れる、「あの女性(ひと)の眼が頷いていたよ 別れも愛の一つだと」という歌詞が見事にハマりすぎていた。


そんな訳で、自分としてはこの「劇場版 銀河鉄道999」という作品は、観る度に「メーテルの物語」であることを実感する訳であり、そんな「メーテル」の心情を理解するには「新竹取物語 1000年女王」、「メーテル・レジェンド」そして「宇宙交響詩メーテル」を合わせて観ることをオススメする。


ちなみにこの作品の中で最も心に残るシーンは、トチローの肉体が消滅し、その魂がアルカディア号へと伝送される際に、「ハーロック」、「エメラルダス」、「トチローの母」のカットが入り、トチローの実家にある写真が落ちて割れるシーン。

劇場版という限られた尺の中での、ああいった細かい演出がいつまでも心に残る。


劇場版という枠内で、これだけのストーリーを違和感なく詰め込んだこの「劇場版 銀河鉄道999」という作品は、主題歌、挿入歌とも完全にマッチした不朽の名作と言える。

既に何度も観たという方も多いと思うけど、この作品は「メーテルの物語」という視点で是非ともお楽しみいただきたい。


次回は「さよなら銀河鉄道999-アンドロメダ終着駅-」をお届けする予定。

ではまた次回をお楽しみに。
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コメント 1

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エメラルダスの妹だったんだね。
by お名前(必須) (2020-02-18 12:17) 

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